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朝倉医師会について

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寛政2年(1790年)に秋月藩医緒方春朔は、その当時猛威を振るっていた天然痘に対し天然痘患者の痘痂粉末をヘラに盛り、未感染者の鼻腔より吸入させ接種する人痘種痘法を完成させ、我が国で初めて種痘に成功しました。これは、英国のエドワード・ジェンナーの牛痘種痘法成功より6年早いことであります。今から遡ること200年余、この緒方春朔翁の偉業が、我が朝倉医師会の活動の源であるといっても過言ではありません。春朔翁の底に脈々と流れる人命の尊厳、さらには、それに対する強烈な責任感・極度の謙虚さおよび無私無欲の態度を、永遠と語り受け継ぎ我が医師会の伝統とするものであります。

その昔、朝倉郡内に医師同業組合なるものがあり、この組合は、医制発布50周年にあたり明治39年の医師法(法律第47号第8条)により医師会と改称しました。つぎに大正8年勅令429号により医師会令が発布され、従来任意設立であった地方医師会が強制設立となり、大正9年に法定の朝倉郡医師会が誕生しました。法律による医師会が発足する以前、この緒方春朔翁の直系の子孫緒方駒雄氏が、当会の初代会長に就任しています。その後、太平洋戦争(第2次世界大戦)に突入し官製医師会と改組され、朝倉郡医師会は、昭和14年福岡県医師会朝倉支部となるものの、戦後連合軍司令部の命により官製医師会は解散し、昭和22年に民法34条により社団法人医師会が誕生しました。さらに、昭和29年に甘木町を中心とする、2町8村が合併して甘木市となるに伴って、当時医療機関数47件、会員数65名の朝倉郡医師会も甘木朝倉医師会と改称し、平成20年には再び市町村合併に伴って名称を朝倉医師会に改称しました。さらに同年の公益法人制度改革関連3法案の施行により平成25年4月に社団法人朝倉医師会は一般社団法人朝倉医師会となり現在に至っております。

我が朝倉医師会は、福岡県の南東部に位置した、西から筑前町・朝倉市・東峰村の3市町村から成る、人口約10万弱の地域で活動しています。現在会長のもと、医道の昂揚、医学医術の発展普及と公衆衛生の向上とを図り、もって社会福祉の増進に寄与することを目的としております。昭和59年に設立した医師会病院を中核として、この地で偉業を成し遂げられた先達に思いをはせ、その苦労、開拓心、慈愛と奉仕の心を胸に刻み、会員一丸となって目的遂行のため日夜奮闘努力しているところであります。